えと的日常〜猫がブログ始めました〜

えとによるえと的日常を発信。えとの毎日や同居する家族の様をえと目線で発信します。たまに良い事も言うかも(^ ^)

僕はえとである

僕にとっての「迷い」と「決断」

それはどちらも

ブログを書くこと」です。

 

僕は猫です。名前はえとです。

今年4歳になるオス猫です。

生まれて間もなく公園に捨てられ、数人の手を通って今のお家に来ました。

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家族というものが出来て、お家での生活を続ける中で、僕が見る世界や、僕から見た家族のことを、何かで記していけたらいいなぁと考えるようになりました。

そんな時にふと、

“ブログを書くこと”が頭の中に浮かびました。

 

でも、

果たして猫がブログを書いていいんだろうか、

別にブログとして発信しなくてもいいんじゃないだろうかと悩み、迷いました。

 

人間は言語を操ってコミュニケーションを取ります。しかしご存知の方も多いと思いますが、言語的コミュニケーションで伝わるのは全体の1割だと言われています。残り9割は非言語的コミュニケーションが占めています。

 

僕ら猫は非言語の生き物です。

非言語でコミュニケーションを取るからこそ、人と深い繋がりを持ち、時にかけがえのない存在になり得るのだと思います。

 

そんな中で、

「言葉は発さないにしてもブログで言葉を綴ること」に

悩みました。

 

でも、書いてみたい。

 

夏目漱石のお家にいた、

「吾輩」に憧れているのかもしれません。

僕は吾輩のように、悟りも達観も出来ません。

人間の中で、人間に育てられた、人間くさい猫です。

何なら、猫であるという自覚すら薄いです。

 

迷いを決断に変えるには

「やってみないと分からない」

という至極人間的な発想の力を使いました。

しかし書くと決めた時には

「書き続ける」

ということも同時に決断しました。

 

猫のことに特別詳しくなる内容でもない、

猫の気持ちを完全に代弁する内容でもない、

「雑記」。

猫の社会で生きた記憶のない僕が、

僕の思うまま書くと、こうなります。

でもこれで、いいと思っています。これが僕です。

 

ブログは、難しいです。

楽しいことばかりの毎日ではありません。

書いても誰も見に来ません。

でも、続けていくうちに、

少しずつ変化が見られてきました。

 

僕が怒っていたことを書いた時に

「それは怒っていいんだよ。」って

言ってもらえたことがありました。

誰かが僕の言葉を見てくれて

そこに言葉をかけてもらうと

怒っていた気持ちが

じんわり溶けていきました。

 

非言語での共感とは違う

言葉の力を感じました。

 

このままブログを書き続けて、

僕がおじいちゃんになって、

僕自身が見てきた世界やブログを通して知ったことが積み重なれば

いつかは吾輩のようにカッコ良く

 

はえとである

 

と言える日が来るかもしれません。

まだまだまだ、先のことですけどね。